今回は「FF7」の派生作品群「COMPILATION of FINAL FANTASY VII」の第5弾にあたる、小説「On the Way to a Smile FINAL FANTASY VII」を読み終えたので感想を書きます。
あらすじ
本作は「FF7」から2年後を描いた映像作品「FINAL FANTASY VII ADVENT CHILDREN」・・・アドベントチルドレン(以下:AC)」で再集結するまでの主要メンバーそれぞれの2年間を知る(読む)内容となっています。
ピックアップされているそれぞれのキャラクター視点での短編となっており、「FF7」本編後、彼らがどのような生活を送っていたのか、「AC」に至るまでの経緯を知ることが出来ます。視点が多い分、それぞれが短くあっさりとしている印象でもありましたが、満足度は十分です。
みどころ
なにより興味深かったのは「FF7」の(ものすごーく分かりずらい)ラストの後、キャラクターたちはもちろんのこと、”世界はそもそもどうなったのか?”ということを本作を読むことで知る、想像することが出来ます。
”ライフストリームが噴出したことが世界に与えた影響とは?”
「AC」で開始直後に突然映し出される2年後の情景(新しい街)や映像内に漂っている鬱屈とした雰囲気が、「AC」内でも徐々に分かりはしますが、この小説によって理解が追い付きます。
特に「AC」内では結局謎のままだった「星痕症候群」についての詳細や、突如現れたカダージュ軍団が生まれた経緯などを深く理解することが出来ます。というか、これらの大事な要素が「AC」本編内で説明されていないのが逆にすごいというか…(笑)
各話紹介
短編それぞれをサクッとサラッと紹介しておきます。あくまでも紹介であり、是非小説を読んで全てを味わってください!
デンゼル編
はじめは「AC」で登場した少年・デンゼルについてのおはなし。
「AC」ではクラウド、ティファ、マリンと暮らしている彼はクラウドに憧れ、リーブが主催している「WRO(世界再生機構)」への参加を(みんなに内緒で)志願します。
リーブとの面接の際「あの日」からこれまでの彼の経緯が語られます。
10歳の少年が今日までどうやって生き延びてきたのか?「AC」でクラウドと出会った時、教会の前にいたのはなぜか?などが明かされます。
デンゼルは「AC」で(突然)登場したわけですが、彼の登場や存在が意味するもの、それは最後に語られる”繋がり”だと思います。締めくくりも素敵な1編です。ちなみに「デンゼル編」では、懐かしの?ジョニーも登場しますよ。
*「デンゼル編」は「AC」のコンプリート版で映像作品(アニメ)としても存在しています。
ティファ編
次にこの小説では「クラウド編」が存在していないのですが、「ティファ編」こそが「クラウド編」とも呼べると思います。
「AC」でのティファは新しく出来たエッジという街で再び「セブンスヘブン」と名付けた店を営み、クラウドとマリンとデンゼルと暮らしています(いました)。
小説では「セブンスヘブン」の再建、クラウドが「ストライフ・デリバリーサービス」を始めるまで、(家族)4人の生活、クラウドとティファの(精神的な)距離、その積み重ねてきた思い出を味わえます。
「AC」本編ではクラウドが訳あって家出中ですが、こうなるに至った2人の抱え込む性格、お互いを思って口にしない結果、関係がこじれていく流れが描かれています。マリンにまで心配されるほど沼にはまっていく様がもどかしく、楽しい気持ちにはなれない内容ではありますが、「AC」本編をより深く味わうという点でおすすめしたい一編です。
特に「AC」内で途中、ティファが「家族」という存在やそのあり方について本音を嘆いてしまったり、描写不足で突然ぶち切れたかのように映ってしまっている(クラウドを後押しする)吹っ切れた決意のこもった言葉たちが、小説を読むことにより理解が深まり、染みわたります。
バレット編/ナナキ編/ユフィ編
バレット、ナナキ、ユフィの3編は3人についてをメインの題材にしつつ、シドやヴィンセントも交えたパーティーメンバーが各編で交わっていきます。
バレットは自分がやるべきことを探すため、ユフィはウータイの再建のため、ナナキは自分で決めたなすべきことのため、シドは愛すべきモノのために2年間を過ごします。ヴィンセントはこの小説では深くは描かれていませんが、ヴィンセントは深堀りが難しそうなので仕方ない…(DCやりましょう)。
それぞれがそれぞれに旅を終えた後に抱えるもの、向き合うことが上手く描かれている印象で、バレットの「AC」での「ゆ・で・ん~」の正体なんかも分かります。
各エピソードで交わる彼らのいくつものやり取りが味わい深く、特にナナキとヴィンセントが交わした約束は二人だけの使命とも言える未来であり、感動します。
何者でもない彼ら
「ティファ編」も含めて思ったことは、「FF7」の物語において主要メンバー(パーティメンバー)はED含め、RPGの醍醐味ともいうべき”栄誉”や”名誉”が与えられていないんですよね。
プレイヤーは「世界を救った!」という達成感を得ていても、「FF7」の世界の人々は物語における成り行きを(神羅の企業秘密ゆえ仕方ないとはいえ)何も知らず、ただただオメガが降って来た!ライフストリームが怒った!星痕が出るかも!と理由もわからず困惑し、恐怖に怯えるだけの2年間だったわけです。
クラウドたちが世界を救った「英雄」と称される存在であることを誰も認識すらしていませんし、まぁ出来る状況にもないですよね。
それはすなわち、メンバーそれぞれもまた、本編の終了後は(ただの)一般人、街の中の1人に戻っただけであり、崩壊した街の再建に奔走し日常を取り戻そうとしたり、新しい世界に馴染んでいくこと、何をすべきか悩み2年間を過ごしていたことをこの小説によって知ることとなります。
全てを知るプレイヤー目線だと、大金持ちになるでもなく、褒めたたえられるでもなく、幸せが約束されていたわけでもない、「何者でもない彼ら」を突き付けられ、虚無を味わい悲しい気持ちにもなりましたが、それこそがこの小説が描きたいこと、語るべき2年間なのだと思いました。
神羅編
この小説内で分量として一番多いのが「神羅編」です。
「AC」では「FF7」でダイヤウェポンにより命を落としたと思われていたルーファウス神羅が生きていたことを知ることになりますが、彼がダイヤウェポンの攻撃を受けつつも神羅ビルの最上階から生還出来た理由、さらにその後2年間どう生き延びていたのかが、タークスの面々の行動と共に語られています。
「FF7」内ではルーファウス神羅の人となりを知る場面はほとんどないので、小説のストーリー(エピソード)もさることながら、ルーファウスという人物について興味深く読めました。
個人的には(意外と)人間味があるな、責任を自覚しているな、他者と共存できるな、という好印象を抱く場面が多かったです。どんな奴だと思ってたんだよ…って話ですけど(笑)
先日紹介した外伝小説「ファイナルファンタジーVII外伝 タークス~ザ・キッズ・アー・オールライト~」と合わせて読むと、2年間(特にACの直前)のタークスの動きやルーファウスの目的が更に補完出来ます(中央広場の慰霊碑についてなど)。
「FF7」ではときたま登場してくる程度の扱いだったタークスですが、2つの小説(+「AC」)では見せ場がいっぱいで、より魅力的な面々として描かれています。
★「ファイナルファンタジーVII 外伝 タークス~ザ・キッズ・アー・オールライト~」の感想はこちら(↓)
ライフストリーム編
最後に、各短編の間に1pまたは2p×3回ずつ、BLACK(セフィロス)、WHITE(エアリス)としてライフストリームでの彼らの様子が描かれています。
短すぎるので内容については書きませんが、これがまぁ~問題児!(笑)
WHITE(エアリス)は良しとして、問題はBLACK(セフィロス)です。
これを「AC」への補完として読む分にはいいんですが、「FF7R」をプレイした後だといかようにも解釈が変わる内容だったというか… 。
1つだけ挙げると、セフィロスが何か条件があるわけでもなく”誰か”の意思をライフストリームからでもコントロール出来るようなことを言われ出したら、極論もうなんでもアリなんじゃないか…と思ってしまったんですよね。
筆者の解釈違いだったり、小説が生まれたタイミング的にあくまでも「AC」への物語のための設定だとは思いますが、リメイク版に対してこの辺まで考慮し出したら(正解不正解関係なく)永久に考察出来るなと思いました(笑)
読み手がそれぞれに受け取って欲しい(筆者はたぶんすべてを理解できていない)ので内容についてはこれ以上多くは語りません。
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