「オラ夏」本編の感想
ゲームボリューム
ゲームボリュームについては「ぼくなつ」との比較は特にありませんが、本作単体としては間違いなく「少ない」「足りない」と言わざるを得ません。
ボリュームがあればあるだけ良いという極端な話ではありませんが、クリア後に物足りなさを感じる以上は不満が残ります。ちなみに筆者はゲームストーリーを通常設定の速度で1周して約9時間でした。
これは昨今の新作ゲームの水準(容量)を考えればフルプライスでもあるし、間違いなく厳しい意見が出るでしょう。コンプリート要素をやり込んだところでほんの少しの違いだと思いますし、前述したようにそもそもコンプリート欲が掻き立てられるものでもありません。
なによりストーリーが(まとまってはいるものの)内容が薄い…。
さすがにメインストーリー以外の何気ないイベントが少なすぎると感じましたし(この点は後述します)、本作に登場する(せっかく作った)たくさんのキャラクターたちそれぞれを「もっと深堀りできたのでは?」と思ってしまいました。
まず「クレヨンしんちゃん」のお話という、たとえば劇場版レベルの(期待値高めの)ハードルを持ってしまっていると、今作のストーリー(内容)は残念なものであると言わざるを得ません。
「恐竜」や「ループ/パラレル」というインパクト大な要素に対して、その設定が最大限に生かされているとは言い難く、ぼんやりとした展開、やっていることがよくわからない&パンチが弱く、結末に対しても「解決したとは言えないのでは?」というスッキリとは出来ない消化不良感が残ります。
そもそも世界に異変が起きてしまっている原理や理由は明確にされず、突き詰められもせず、ノリによるゴリ押しが強すぎる気がしました。ただここは全年齢向け(子供向け)ってことでうるさいこと言わず調子よく片付けるしかないのかなぁ…とも思います。
とはいえ、そこが「クレヨンしんちゃん」的なお笑い視点に独走し、勢いだろうがキレイに片づけらられていればそれはそれでよかったのかもしれませんが、そこまで振り切っているとは言えず…な感じ。全体的に物語に起伏が乏しく、どんな視点で見てもなんだか物足りないなぁ…中途半端だなぁ…という結論です。
この原因は間違いなく描写の不足/いろいろな要因の深堀り不足であると感じました。結果的にクリア後に「何回もやりたい!(みなおしたい)」と思うようなストーリーでもなかったです(辛口すまん!)。
お店の品揃え
細かいところなんですが、お店(霧島ストア)の品揃えに関して品数が非常に少なく、そんなところでもボリューム不足(手抜き?)を感じました。
時代設定上仕方ない面もあるとは思いますが、「ぼくなつ」にあった売店の子供心をくすぐる駄菓子のラインナップの多さは、欲望のままにお菓子を買い漁りお金を無駄遣いするもよし、はたまた我慢してコツコツ小銭をためての一発ドーンとプラモデルもよし、と童心に帰るものでした。
今作には買い物に行く(お店を覗く)というワクワク感がなく、ただただ必要なもの(ミッションのおつかいの品)を手に入れるだけの場所になっています。「ぼくなつ」との比較はさておいても表面的なもので意味がなくていいので、もう少し品数があっても良かったんじゃないかなぁ…と。
7,000円を手に入れても満たされない5歳児と、350円でワクワクが止まらない9歳(小学三年生)、もはや残酷ですらありませんかね…。
滞在期間と夏要素
今回の舞台である熊本県のあっそー(架空)での滞在期間は1週間。
みさえの友人宅(ひのやま家)への訪問ということで旅行(お遊び)感覚です。
これは「ぼくなつ」での主人公の母親の出産に伴う家族(親族)間の預かりというほぼ日常生活とは少し異なるため、理由を含め”1週間”という期間が妥当であり限界だというのは納得します(そこはリアルだよな~)。
ただこの”1週間”という期間(ゲーム設定)が個人的には残念に感じた点になってしまいました。
詳しくいうと2点(3点)あります。
①:夏イベント不足
数字としてはストーリーにおける強制的な周回によって、そこそこの日量(20日くらい)をプレイしていることにはなります。
しかし結局のところ同じ期間(1週間)の繰り返しでしかないため、夏休み(8月)という大枠を生かすような踏み込んだイベントがありません。
「ぼくなつ」にあったもので言えば、夏祭り、肝試し、皆既日食、お盆(お墓参り)や、アサガオの成長も月日の経過を感じるものでした。
こういった類のものは「オラ夏」には存在しておらず(出来ず)、すなわちそれらのイベント自体がないことによるボリューム不足に始まり、そこで生まれる些細なエピソードや会話ももちろん描けない/感情も生まれません。
そして、イベントが起こる度に得る経験と共に「夏の終わりに近づいてる」という「ぼくなつ」の醍醐味ともいうべきノスタルジックさも本作では生まれない(生まれづらい)のです。
ストーリー設定上仕方がない(しんちゃんが5歳というのもある)とはいえ、「ここで(あっそーで)過ごした、ひと夏の思い出」が些細な出来事、何気ない日常の延長線として記憶に残らない気がしてしまいます。
②:人間関係の構築
次にしんちゃん(プレイヤー)は本編における自身の周回を認識してますが、ゲーム内のキャラクターたちは当然そんなことはなく、(ストーリーは少しずつ変わっては行くものの)関係は毎回ほぼ0から始まってしまいます。
これは結果的に①の要因と併せて、月日の経過によって構築されていく人間関係とその過程を生み出すことが出来ていなかった(その手の会話の深みやイベントがない)=キャラクターへの思い入れ(愛着)が生まれませんでした。
「ぼくなつ」では大それたことが起きないからこそ、それぞれのキャラクターの(必然的な)深堀りが物語の一つの要素でもあり、家族、町のみんなとの距離が縮まり、お別れが悲しい/寂しいという気持ち、喪失感が最後にこみあげてくるのですが、本作に関して言えばそういう感情はほとんど生まれませんでした。
1週間程度でそこまでの深い関係にはならないっていうのは理解しますが、ラストの哀愁も「ぼくなつ」の醍醐味だと思っているので、個人的にはここは要素を活かせていない気がするというところで残念な点です。
③:季節感
そして上記の①、②も関連しての要因でもあると思うのですが、イベントは元より単純に「ぼくなつ」にある”泳ぐ”とか”上裸”とか”日焼け”みたいな普通に想像しうる「夏らしさ」とそこから感じ取る「温度/暑さ」を印象付ける視点も(ゼロではないですが)今作かなり少ないと感じました。
たとえば1975年と現代は暑さのレベル(体感)が違い過ぎるであろうことに対して、ゲーム内ではほぼ同じ家庭生活描写のため、昼間に帽子を被らないで外をうろうろしたり、クーラーをほぼ使ってない(扇風機もあんまりない)、暑さに対して言及していない、注意や警告をする人がいないというのは、昼間に外に出ちゃダメ!レベルのニュースが日常的に出る現代の夏においては違和感というか…。
この「暑さ(または涼しさ)」にほぼ触れていないというのは夏(季節)を印象付ける要素を逆に削いでいたように感じました。
架空の町である以上、あっそーはめちゃくちゃ涼しいのかもしれませんが(舞台モデルとなった阿蘇は涼しいとは思いますが)、それでも夏ならアイス(かき氷)は食べたいし、バキバキに冷えた炭酸は飲みたいし、窓を開けとくならうちわくらいは使うし、蚊取り線香はいるでしょうよ?というしょうもないツッコミを入れちゃったりするくらいには鼻につきました。
結果的にあくまでも遊びに行った季節が夏だった(夏って表面上言ってるだけ)という程度にしか思えず、ゲームをプレイすることで季節を味わったり、体験したという感じにはなれませんでした。
もちろん、そんなことまで考慮しだしたらゲーム(架空世界)の良さがなくなってしまうとも思いますし、なんでもかんでもリアルに寄せれば良いってものでもないのは分かっているんですが…(じゃあ書くな)。
(個人的に)不便(不満)に感じた点
最後にゲーム内でちょっと不便(不満)に感じたところをあげておきます。
魚小さいなぁ…
画面は風景(全景)を見せることが命題の構図になっており、しんちゃんですらどこにいるのか分からない時もありましたし、しんちゃんよりさらに小さい魚に至ってはここで書いてしまうくらいには見つけづらく、釣りが不便でした。
夜は特に暗さもあって、魚がどこにいるのか分かりづらく、そもそもいるんだか?いないんだか?状態。
ラジオ体操スキップさせて!
毎朝の日課、ラジオ体操は「ぼくなつ」から健在の要素。
日を追うごとに参加者が増えていく(画が変わる)のは良いと思いましたが、結局同じ動きかつそこそこ長いので、スキップの選択肢は欲しかったです。こんなところでボリューム稼がんでも…(嫌み)
恐竜カードが運ゲー
今作の対戦要素は「恐竜カード」というトレカ。
表面上は恐竜(選択キャラ)と付与する能力(カード)となってますが、勝敗を決めるのはじゃんけんというシンプルではあるものの、ただの運です。
カードでどれだけ強い能力を付けるにしても、じゃんけんが(ほぼ)全てなので…戦力、実力はもはや関係なく、勝負を繰り返すことによるレベルアップもないため、攻略という感じがありません。これによりカードを集める楽しさも半減でした。
まとめ
今回は作品(ストーリー展開)に満足していない気持ちが大きかったり、「ぼくなつ」と比較することによって粗が目立ち、ちょっと辛口?なクリア後感想&レビューになってしまいました。
「クレヨンしんちゃん」のゲームとしてはアニメ作品の持つ特有の雰囲気(ノリ)が生かされたものであったとは思えましたが、「ぼくなつ」の描くリアリティと「クレヨンしんちゃん」の要素による相乗効果は生まれていませんでした。
とはいえ否定的なものではなく、両方の要素をそれぞれ単体として楽しんだという印象です。
なんだか、久しぶりに「ぼくなつ」について語ったら「ぼくなつ」についても書きたくなってしまいました!(機会があれば書きます!)
なにより筆者は「ぼくなつ」の新作が遊びたいと思いました!(みんなそうなのでは!?)
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