「CC」でのザックスとエアリス
詳細に描かれた2人の思い出
「CC」を基準にして話をすると、ザックスとエアリスの出会いは「FF7」から見て7年前、エアリスが15歳の時まで遡ります。
そこから2年後(「FF7」から見て5年前)ザックスが任務で向かったニブルヘイムで行方不明になるまでの間、2人が関係を築いていく物語が「CC」にて存分に描かれています。
「CC」で描かれる2人の距離はザックスのコミュ力の高さによって初対面から打ち解け、物語を追うごとに縮まっていくという、ごく自然で好感が持てるものです。
そして(順番はどちらでもいいですが)「FF7R」と「CC」を両方プレイすると、エアリスがいかにザックスに影響を受けたかというザックス存在の大きさを感じる、そして「FF7」の補完にもなる描写も多いです。
「(報酬は)デート1回」の唐突過ぎる提案もザックス発信だったり、花を売り始めるようになる(花を売ろうと思う)のもザックスの言葉がきっかけです。
ザックスはエアリスがいる教会を頻繁に訪れたり、一緒に花売りワゴンを作ってみどり公園に売りに行ったりしています。
「CC」にてエアリスへピンクのリボンをプレゼントすること自体もそうですが、その際の「出会いの記念」や、「もっと一緒にいたい」=「気になる」という表現もザックスが初対面時のエアリスに使ったものです。これらの言葉はリメイク版では同様の状況下でエアリスがクラウドに使っていますよね。
そしてなによりこのセリフ(ワードチョイス)のピンポイント性によってエアリスの中のザックスの存在を感じられるのではないでしょうか?
印象的過ぎるシーン
「CC」における【エアリスとザックスの関係】を表した印象的なシーン、それはザックスがソルジャーの仲間を失い傷心しているところで”エアリスがザックスを後ろから抱きしめる”場面です。
これについてはここまでの2人の距離の縮まり方(演出)、親密度を見てる/描かれているので、それがごく自然な行動、シーンとして受け入れることが出来ます。
そして「(すごく楽しい)ザックスと一緒だから」なんて本人の前で言えちゃうエアリスとか、任務前にツォンにわざわざエアリスのことを頼むザックスとか、終盤はもう「君ら恋人同士じゃないですかぁ!」ってニヤニヤもんです。むしろ「そうじゃなかったら何なの?」というくらいの親密さです。
直接的な言葉を交わさないだけで、2人は紛れもなく相思相愛として(「CC」では)映し出されています。
ミッドガルに向かう目的もエアリス
さらに時間は飛び、神羅屋敷からのザックスとクラウドの逃亡シーンにおいて、前述の「FF7」のインターナショナル版での言動から「あてがあるからザックスはミッドガルを目指している(いた)んだな」と筆者は解釈していました。
しかし「CC」ではニブルヘイムへの任務の直前にエアリスから受け取った「もっと一緒にいたいです。」というメモを逃亡開始直後に見つけたことで、危険を顧みずミッドガルに帰ることにするザックスの決意が描かれています。
これは(「FF7」にはなかった)「CC」で新たに生まれたシーン(設定)であり、ザックスがミッドガルに帰る/目指していたという事の理由が明確になり(作られ)その重大さ、ザックスのエアリスへの想いが感じられる裏付けとなっています。
「FF7」にあったザックスの女好きという設定は?
もうひとつも前述の逃亡中のトラックの荷台でのザックスのチャラチャラした言葉や、ゴンガガでのエアリスの「(ザックスは)女好き」発言で形成されていた筆者のザックスに対するチャラ男印象。
これに反して「CC」でのザックスは、タークスのシスネとの初対面(序盤)こそ「女好きのお調子者」といった言動でしたが、それ以外にチャラさが出る場面は一切なく、シスネにも以後女の子として意識している印象は薄いです。
なによりエアリスと出会ってからは完全にエアリスにゾッコンといった応対です(その描写しかありません)。エアリスが「FF7」でザックスを皮肉ったような印象を持つ場面は「CC」では全くと言っていいほどなく、あちこちにあての一つもないくらいに一途にエアリスだけという感じです。
ここは「FF7」との温度差が生れた部分ではありますが、むしろいい方向に変わったと言える点でしょう。
エアリスもザックスにゾッコン
「CC」では15歳で出会い、17歳の時に失踪してしまった1つ年上のザックスにおよそ4年間(21歳まで)、実に【89通】もの返事の来ない手紙を書き続けたエアリス。
手紙を出す宛がなくなった1年後(失踪から5年後)、ザックスは目指していたミッドガルの直前でエアリスと再会を果たすことなく命を落としてしまいます(「FF7」の開始直前)。この時ザックスがいなくなってしまったことをエアリスが察しているような描写もあります(これは推測でしかありませんが…)。
2人が最後に交わした言葉は5年前の「会いに行く」「待ってる」
そこから一方通行の手紙をザックスに書き続けたエアリスと、エアリスのささやかな願いを叶えるためにミッドガルを目指したザックス。
怒涛の終盤、カンセルの早く帰ってこいメール(壊れたワゴンはザックスに直してもらうというエアリス)や、「プレートの上に連れていく」「次会う時はピンクの服」など、ふたりの叶わなかった約束が投げつけられ、お互いの想いの深さをバシバシ刺激してくる表現とともに迎える結末に涙腺が決壊を起こすことでしょう。
「FF7」と「CC」のエアリス違い過ぎない?問題
ここまでのことを踏まえると「FF7」と「CC」どちらからプレイしたとしても両方遊ぶと感じる違和感。それは、エアリスのザックスに対する想いの深さ(の描写のズレ)ではないでしょうか?
セリフ一つとはいえ、ザックスへの気持ちの温度差が半端じゃないんです。
例えば「CC」をプレイした後だと「FF7」のみどり公園での会話は、2年間(少なくとも失踪直前は)恋人同士のように過ごし、5年間(4年間)帰りを待ち続けて89通も手紙を書いた相手は「ちょっと、いいなと思ってた」どころではなくない!?と個人的には思ってしまいます。
自分から抱きしめるくらい良い雰囲気になっていたザックスのことは「もう、いいの」で、不愛想な会話の成り立たないクラウドのことが(のちにではあるものの)好きになってしまうってなんなのさ・・・。と、筆者は相当なショックを受けました。
結末としては悲恋ではあるものの「CC」でのボーイミーツガールの綺麗な物語を見た後に、別の物語に登場した彼女は過去をサラッとあしらい、そっちで出会った男の方が好きって…ダメじゃないけど…何とも言えない気持ちになったのはきっと筆者だけではないと思うのです。
期間として4年(5年)というのは(筆者は)十分待ったと思いますし、1年前の最後の手紙で吹っ切ったのかもしれません(それでも理解は出来ます)。散々待ったわけだし「次の恋どうぞ!」という気持ちもあります。
それでも「CC」を思い出してしまうと、ザックスとあれだけの関係性でありながら=「CC」で描いたにしては「FF7」のみどり公園でのセリフに納得がいかない気持ちも少なからずあるわけです。特に筆者が「CC」推しであり、ザックスというキャラクターと【エアリスとザックスの関係】に贔屓目だからこそそう思ってしまったというのは大きいかもしれません。
エアリスの印象が悪くなってしまう
今回紹介してきた「FF7」と「CC」それぞれの【エアリスとザックスの関係性】の描き方の違いによって、結果として「FF7」のエアリスの印象がちょっと良くないというか…言葉を選ばずに言うと切り替えの早い軽い女に映っている気がしてしまうんです(※個人の感想です)。
「CC」→「FF7」と繋げると、ザックスがこの世からいなくなってしまったと(おそらく)分かってから短期間で次の恋に目覚めている(ようになってしまっている)設定や描写は「ザックスへの気持ちはその程度だったの!?」となってしまうように思えたり(※個人の感想です)。
”ザックスのことが好きだったからこそ、クラウドに彼の姿を重ねて惹かれていく”というのも言葉としては理解できるんですが、ザックスとクラウドの(仕草が)似ているところって「FF7」内では全然伝わってこないんですよね。
ザックスとクラウドの共通点って(現時点では)ソルジャーってことくらいじゃないでしょうか?(実際はこれすら違いますが)。エアリスに映る性格なんて真逆ですし、いまいちピンとこない設定になってしまっているように感じます。
これは「FF7」と「CC」が時系列ではなく逆の順番で生れている(作られた)ので仕方がない部分でもありますが「CC」を重視すると(制作側は)「FF7」に繋げる気がないようにも受け取れます。
「FF7」と「CC」は別物と思うことにした
筆者がモヤモヤしたり、いちいちこうやってわめいているのは「CC」が好きすぎるがゆえに「CC」が「FF7」に繋がる正規の物語(存在)であると思いたい、納得したい(したかった)からです。
その反面【エアリスとザックスの関係性】についてはあまりの設定の違い(温度差)に同じ世界の話とは到底思えず「CC」はあくまで派生作品(後追い)のため、単体で物語を楽しまないといけないな=「FF7」とは別世界の物語(2つは繋がっていない)と考えようと、(悔しいけど)その解釈でこれまでは自己完結して/させていました。
いったん飲み込んだ関係性の違い
ここまで書いてきた内容を持って(「FF7R」が生れる前の)筆者の中ではそれぞれ別物として作品ごとに【2人の関係性】も異なっていると解釈しました/していました。
「FF7」:エアリスの片思い(それもかなり淡い)
「CC」:恋人レベル
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