今回はリメイク版で新たに生まれた存在【フィーラー】について。
《運命の番人》と呼ばれる彼らが守ろうとしている運命と、そこに関連するリメイク版のあり方ついて考察してみました。今回はメタ的な話をしていますのでその視点に興味、理解のある方は是非一緒に考えて頂けると嬉しいです。
参考にした資料
まずはじめに、今回フィーラーが守ろうとしている運命を考察していくにあたって「ファイナルファンタジーVII 10th アニバーサリー アルティマニア」を参考にしました。
この「ファイナルファンタジーVII 10th アニバーサリー アルティマニア」はオリジナル版「FF7」と「FF7」の派生作品群である「COMPILATION of FINAL FANTASY VII」の各物語やそれぞれの関連性(接点)、時系列などがまとめられています。
リメイク版ではオリジナル版の物語と合わせて「COMPILATION of FINAL FANTASY VII」(の各物語)も取り込まれているため、現在プレイ不可(困難)なゲーム(BCなど)を理解したい場合はこの本がオススメです。
本件以外でも単純に「FF7」関連作品の諸々を知りたい人、その視点で考察したい人はこの本さえ買えば十分に理解することが出来ます。
★リメイク版での派生作品についての考察(↓)
★《世界線設定》について派生作品を整理してみました(一つの案)(↓)
フィーラーとは?
リメイク版で新たに生まれた存在であり、時たまフラっと出没しては、敵か味方か分からない行動を取り、(特にオリジナル版経験者を)混乱の渦に巻き込んだ問題児フィーラー。
恥ずかしながら筆者の第一印象は「ディメンターじゃん!(ハリーポッター参照)」でした(笑)
もちろん今作にディメンターは一ミリも関係ありませんよ。
フィーラーが守ろうとしている【運命】
フィーラーはリメイク版/チャプター17にて《運命の番人》と表現されています。
レッドXIII(エアリスの知識)によるとフィーラーが番人と化している《運命》とは星が生まれて消えるまでの流れであり、その《運命》を変えようとするものの前に現れ行動を修正するとのこと。
オリジナル版経験者は、このフィーラーに対する説明を受けて「だからあの時に!」といくつか繋がった場面があったのではないでしょうか?
“うんめい”って 運命?
さてここで《運命》という表現に対して違和感を抱いた人はいませんか?
違和感を抱いた人は(筆者を含め)オリジナル版経験者ではありませんか?
《運命》とか大層なこと言ってるけど「元々起きていた(起きた)ことじゃん?」と。
今作でいうところの《運命》、フィーラーが守ろうとしている《運命》とは、恐らく皆さんも予想の通りオリジナル版「FF7」で起きていたことです。
そしてフィーラーは、オリジナル版通りにことが進むようにオリジナル版をなぞろうと行動しています。これによって時には敵に、時には味方になる(見える)というわけです。
これらをもってオリジナル版経験者から「原作厨」なんて(嫌味っぽく)呼ばれていますが、この表現は強ち間違っていないと思います。
さて、ここで見方を変えてみてください。
このリメイク版、当たり前の話ですが「FF7」初心者と経験者が混在しています。
その中で、初心者の目線(初見プレイという体)で物語を捉えてください。
フィーラーが守ろうとしているのは「オリジナル版のことなんだよ!」なんて言えませんよね?
オリジナル版の方のプレイが必須でも何でもないのに初めてやったゲームで、ましてやゲーム内で「オリジナル版が~」とか言われても意味がわからないじゃないですか?というかそんな物語普通に無理じゃないですか?(笑)
「なぞるべき物語(オリジナル版)がある」=「決められた《運命》がある」という、言葉を選んではいるもののこう呼ぶしかない、絶妙な言い回しだなと思います。だからこそリメイク版では言葉を変えた《運命》というワードが多発しているのではないでしょうか?。
《運命》と言う表現をもって経験者も初心者も理解出来るストーリー展開だと思えます(初心者はフィーラーはただただ良く分からない行動取ってるように見えてるとは思いますが)。
フィーラーの存在が意味するもの
ここまで書いてきて結局何が言いたいかといいますと、リメイク版において現代仕様や派生作品を取り込むための別世界線(パラレルワールド)という設定はありつつも、基本ベースはフィーラーによってオリジナル版の流れでここまできたということ。
オリジナル版「FF7」通りに物語を進めるために【フィーラー】という存在を生み出したということ。
すなわち…リメイク版「FF7R」のここまでは、オリジナル版から乖離はしていない/新たな敵は生まれていないと筆者は考えています。
新たな存在(敵)に感じてしまいそうな点としては、派生作品を取り込んだことにより(自身が)知らない設定や単語が出現しているからではないでしょうか?
そして(今後)、オリジナル版をきっちりとなぞらないというリメイク版のコンセプトに対して「今後のストーリー展開の責任は取らぬ!(大袈裟)」という意味でもフィーラーの存在を物語に(大きく)絡めているのだと思います。
要するに(みなさん分かっているでしょうが)オリジナル版ありきのリメイク版の物語の中に、フィーラーがいることにより(特にオリジナル版経験者に対して)話をややこしくしてる部分もあるのです。
逆にリメイク版がオリジナル版「FF7」初心者/経験者どちらであったとしても、フィーラーが存在することによってどちらも(新しいものとして)楽しめるストーリー展開(表現)になっているとも思います。
★物語をややこしくしている要因であろうエアリスとフィーラーの関係性(↓)
フィーラーが守ろうとしているのは”点”
フィーラーが守ろうとしている《運命》は、(筆者が思うに)要所・ポイントという”点”のイメージです。
関与については《運命》を外れようとした場面でのみ行うため、《運命》とはいえ彼らが関与してきていない場合ももちろんあるでしょう(描かれていない以上、本編までの運命への介入は不明)。
リメイク版の世界(線)ではフィーラーの監視下の元ストーリーが進行していきますが、フィーラーの命題は《運命》の場面をおさえることであり、最終的にそこ(重要な点)に到達すれば良い/通過すれば良い/タイミングが合えば良いというような動きに見えます。
一番わかりやすい動きとしては「伍番魔晄炉作戦(への流れ)」です(後述します)。
”点”を歩んできている
ストーリーや各キャラクターの運命における”点”という表現、マルチシナリオ(マルチエンディング)ゲーム的な考え方が一番わかりやすいかなと思います。
必須の通過点がありながらも、その前後や(必然性のない)選択肢やルートはプレイヤーに委ねられていて、その通過/選択次第で大なり小なり人生(運命/展開)が変わったり、変わらなかったりしますよね?
それってゲーム内のキャラクター(の人生)においてもそうで「あの日、あの時、あの場所で by小田和正」的な考え方で「FF7」の世界の住人もそうであると考えれば、(フィーラーによって)《運命》という名の必須通過ポイントを(監視されながら)歩みつつも出会う人や関わる人、会話、些細な出来事とそのタイミングで人格、交友関係、街(建物)の一つや二つ、彼らを形成するもの、取り巻くものが変わってもおかしくないなと思えるわけです。
メタ的ですがこの考えを持ってすればリメイク版で「あれ?オリジナル版と違う?」と思ったことに対する理解が深まりませんか?
リメイク版でオリジナル版と異なる、運命に関与しない中で起きた変化で分かりやすい例としては、ジェシーに秘密の作戦を依頼されたからこそローチェと出会ったり、伍番街スラムにリーフハウスが建設されていたからこそフォリア先生や子供たちと接点が出来たことなどが挙げられます。
そして秘密の作戦に参加しアバランチの3人と関係を深めたことや、リーフハウスの子供たちとの関わりによってクラウドの人格(雰囲気)が変わったことなども分かりやすい変化の(積み重ねの)一つでしょう。
ほかにもキリエやレズリー、ウォールマーケットの推薦者トリオなどオリジナル版には登場せず、リメイク版で(だけ)登場する人々との出会いすべてに対して(些細な)接点の違い(の積み重ね)によって運命の中で起きた”変化”や”誤差”だと言えるでしょう。
要するにオリジナル版経験者は、オリジナル版とリメイク版が別世界線(パラレルワールド)であると認識することにより、リメイク版で抱いた違和感がかなり軽減されるはずです。
★エアリスの心境の違いも運命における接点の違いで生まれた感情とも考えられます(↓)
次ページ:もっと深堀りしていきます